昭和の時代、日本は唯一成功した社会主義国だった。

語りたい病が続いております。お許しください。
タイトルの意味は資本主義国にしては所得格差が少なすぎる!この国を揶揄を込めて語った言葉。社会主義国に対する皮肉でもある。
で、話はいきなり自分の中学の授業のことになっちゃうんだが。
教師が話すには、資本主義国家の繁栄は自由競争が認められているから進歩、繁栄した。、社会主義国家は共産化の代償として競争が無い。いくら働いても同じ給与ならとサボタージュが横行し社会が停滞してしまった。社会主義国家の問題はその理想とのギャップにあるとの説明だった。僕はなんか違うぞと思っていた。
社会主義ってそんなに悪くないじゃないか。どうしてダメになったの?
ただ既にソルジェニーツィンノーベル文学賞受賞とか社会主義国の矛盾が既に明らかになった頃だったから、社会主義にあこがれを抱くのも無理だと思っていた。
でもその説明はやっぱりおかしいよ、と思っていた。


現在に戻る。今なら教師の説明が間違いだったことがはっきり分かる。
社会主義国家の最大の問題点は官僚組織の肥大化と腐敗であることは明らかだ。共産化には富の再分配機能がどうしても必要だ。それを担うものに権力が集中する。権力は肥大化し腐敗する。
日本の高度成長からの停滞(90年代)は今考えると社会主義国家の崩壊とそっくりな気がする。肥大化した官僚の無能が白日の下に曝された。
税、年金という富の再分配機能は大きく歪められていた。
日本の戦後の成長神話が「敗戦によるリセット」と「教育水準の高さ(江戸時代の寺子屋にまで遡って論じるものもある)」という説に僕は同意する。
敗戦から復興へ。貧しさからの脱出。日本のベクトル合わせは誠にうまく行っていた。国だけでなく企業も生産、拡大、そして富の分配を担っていた。企業の成長が社員の豊かさに繋がるという神話。終身雇用という神話。
いわゆるトップを頂点とした三角形がずっと成長拡大し続けてくれればよかった。幸せは続いたはずだ。
でも限界は、ある。
時代の変化の中で企業も組織のみが富を蓄積し肥大化する構造に変わっていく。不定期雇用の旨みを知った企業はもうそれを手放せない。
取り残されるのは誰か。失うのは誰か。
それはもうお分かりの筈だ。